コラム

第4巻 フリーランスフォトグラファー・ビデオグラファー・デザイナー 橋原大典さん ジュエリー作家 橋原羽奈さん 

  • 縁のことぶれ

浅野川に架かる橋のたもとから、卯辰山公園へと続く坂道。その急な傾斜を感じながら歩いていると、道中にいくつかの家々が並んでいるのが見えてきます。新緑に包まれる季節に訪れた今回の取材先は、そんな坂の途中に建つ一軒家です。2階にある玄関から入り、下階のリビングダイニングへと降りていくと、そこには水平に大きな窓が連続していて、一面の緑に心奪われる景色が眼の前に広がります。  ここが市街地からも近い場所だとは忘れてしまうほど自然に囲まれたこのお家を気に入り、昨年春に移住したのが、橋原さんご夫婦です。

長年過ごしてきた東京の生活から、「別の街で暮らしてみたいね」と話をするようになったお二人。「住む」という視点から、日本各地の移住候補地をめぐりました。福岡、甲府、長野、松本、金沢、尾道と自分たちが気になるところを訪ね歩きましたが、いつしか、金沢が一番心地よい印象を残していたといいます。 

その理由をひとつひとつ紐解いていくと、まず、自転車で回れるほどに街がコンパクトであること。また、コミュニティも1つに偏らずに複数あること。そして、肩書きを前提にしなくても人と人とのコミュニケーションが取れる。金沢ではそうした肌感も合いました。他にも、自分たちが育った東京の、再開発によって当然のように街が塗り替えられていく様子とは違い、変化はしていきながらも、土地に付随している文化や人間性を守ろうとする姿勢にもとても魅力を感じたといいます。

これまで自分たちは都会でしか生活したことがなく、むしろ騒音に落ち着きを感じるのが日常だった。ただ一方で、そうした雑踏に呑まれてしまい、知らぬ間に受けていた苦しみにも気がついていました。そこで、人混みが多く、喧騒のストレスや何者かにならなければならないプレッシャーの強いこの環境から自らを解放してあげたいと思うようになります。それは、お二人の間に子どもが出来たタイミングでもありました。

時間の流れる感覚も違い、自然に近い環境である金沢での暮らし。日々の落ち葉掃きから、冬の雪掻きまで、ここでの生活でやらなければいけないことに、いまこれほど多くの時間をかけている。大典さんは「この時間、これまでは一体何をしていたのだろう」と、ふと思い返すことがあるといいます。

生きることの必要以上に、消費が加速しすぎてしまった現代社会。そこでは、自然な循環のバランスさえも崩れてしまった日常が広がっています。金沢での暮らしは、まずその釣り合いを取りなおすためにあるということ。まだ幼い子どもを見ながら、この住まいで過ごす羽奈さんは、「この環境にずっといると、毎日が何も無くても、少しずつ変化する自然の美しさや流れている時間に自分がすごく満たされている」といいます。

それでも最初の頃は、経験したことのない自然の中で暮らしに対して心にざわめきを感じていました。また、これからの生活への不安、特に、大典さんには家のことだけではなく、東京と金沢の2拠点になる働き方の大きな負担がありました。「月の三分の一は東京へ行き、一家を養っていかなければいけないという現実に、今でも不安に思うことがある」といいます。羽奈さんとも話し合いを重ね、家族を前に進めていくためのそれぞれの役割をいつも確かめてきました。東京での一方的な働き方で潰れてしまわないように、これからの目標は、金沢でも仕事をつくっていくことです。

ここで、新しく仕事をつくっていくこと。それは、これまでの“自分らしい”生き方の延長線上にあります。始まりは、大典さんと羽奈さんの出会いからでした。大典さんの勤めていた自転車の会社『tokyobike』のお店に、羽奈さんは常連として通っていたといいます。当時、羽奈さんはいつも頭の中で考えていたジュエリーのことを趣味以上の制作活動として、自分の美的な表現をしていきたいという気持ちを抱えていました。それと同じように大典さんも会社員として働きながらも、写真などの表現を仕事の中心にしたいと考えていて、二人のくすぶっていた状況が重なると同時に、出会いをきっかけに、お互い自分のやりたいことを邁進していくことになります。

金沢への移住は、住む地域を変えることで、自分たちにどのような変化がもたらされるのか興味があったから。ここへ来たのも、「自分の感覚が揺り動かされて、今まで持っていなかった視点で物事を見られるようになること」が大事だといいます。金沢へ来て、羽奈さんは前職を辞めて、ジュエリー作家として新たなスタートを。そして、大典さんは、これまでのデザイナーやフォトグラファーとしてキャリアを活かして、この地域で盛んな素材やものづくりをしている人たちの手助けになることをしていけたらと考えています。

最近では、羽奈さんのジュエリーブランド『soyoh』がローンチされました。長年抱いてきた立ち上げへの思いを確信へと変えた、出産と移住という大きな出来事。この暮らしと環境の変化に伴って、必然的に自分自身と対話する時間が増えたといいます。人と自然からほど好い距離のある日々の中で、無意識に自分をとらえていた思い込みは柔らかく解きほぐされ、大切にしていた価値観や美意識、ものづくりの根底にある感覚を自覚できるようになりました。

羽奈さんは、自らが制作したジュエリーが完成するのは、かたちが生まれた瞬間ではなく、「人の肌に触れ、日々をともに過ごし、時を重ねることで少しずつ表情を変え、ようやく完成へと向かっていく」といいます。身につける誰かのことを受けとめる余白を残したこの『soyoh』のジュエリーには、これからの暮らしと新しい仕事をつくるために、人とのつながりを大切にしていきたいというお二人の願いも込められているように思います。

文=神野元次郎

橋原大典(はしはらだいすけ)
フリーランスフォトグラファー/ビデオグラファー/デザイナー
ご縁作りがモットー

橋原羽奈(はしはらはな)
ジュエリー作家
ジュエリーブランド「soyoh」オーナー

神野元次郎(じんのげんじろう)
1997年生まれ。金沢美術工芸大学大学院美術工芸研究科芸術学専攻修士課程修了。国立工芸館情報資料室研究補佐員として就業後、現在はフリーライター。専門は、哲学、美術・工芸批評。「すみれハウス」にて、BOOKS & RENTAL SPACE『6号室』主宰。