第1巻 すみれハウス 前編 芝原一貴さん/澤和代さん
「すみれハウス」大家 芝原一貴さん
観光地として賑わう⻑町武家屋敷跡や⽤⽔沿いに様々な商店が⽴ち並ぶせせらぎ通り。そこから⼀歩離れて⼩径を迷い込むように進んでいくと、⼤きな病院の裏⼿、控えめな裏路地の奥まった先に「すみれハウス」が⾒えてきます。
「すみれハウス」は、もとは1972年に建てられた和室の古いアパートでした。50年という築年数を重ね、空室の⽬⽴つようになっていたこの物件を、新たな借り⼿を⽣み出すような場所へと変えたのが、⼤家である芝原⼀貴さんです。
アパートだけど、⽴地や⼀部屋⼀部屋のサイズ感を考えたら、ただ⼩綺麗に直すだけでは、周りに埋もれてしまうかもしれない。「すみれハウス」を⼿がけるより前に、天神町にある「VSAP」という物件の改築に取り組んだ経験のあった芝原さんは、そこで設計を担当していたコロコロエンタープライズと、内⾒会で知り合ったことのは不動産とチームを組み、「すみれハウス」のコンセプトづくりに苦⼼していました。
「VSAP(VINTAGE STUDIO APARTMENT)」 は、築古の物件でも持続的に活⽤できるものにするため、既存の建物を⽣かしつつ改築された単⾝⽤アパートメント。⽗親の代から続く⼤家業を引き継いだ今の⾃分がやる意味は何なのか。それを模索していた時期に着⼿したプロジェクトでした。
当時は⾦沢でも、⽼朽化した建物をシェア型の複合施設にするなど、リノベーションによる新しい価値づくりが盛んになっていました。壁はクロスをはがした糊の状態のまま、床もはがし跡を残したまま塗装するなど、これまでに⾒たことのなかったリノベーションのスタイルに触れた芝原さんは、これまでの「VSAP」のプロジェクトを振り返り、「あれは正しかったのか」と思い直すこともあったといいます。
他⽅で、「VSAP」を改築するにあたって、壁を塗装したり、床にオイルを塗ったり、家具を⼊れたりするなどの最後の仕上げを⾃分⾃⾝で⾏うなど、現場で労をいとわず⾃らの⼿でかたちをつくっていく実感を覚えていくほど、これからの事業経営のために “DIY”というコンセプトが浮かんできました。
そうした中、出会うことになった物件が「すみれハウス」でした。2017年6⽉には共同プロジェクトがスタートし、チームのメンバーとともに、築年数や設備など、普通は不利だと思われてしまう条件を超えて、「圧倒的な何か」「強烈にここに住みたいと思えるような部屋」をつくるために何度も打ち合わせを重ねます。そして、芝原さんにとっては⼤家として改築した物件を扱うのはまだまだ未知のことばかり。そのための勉強となる内⾒会への視察をはじめ、従来の賃貸物件にはないものを実現するアイディアを得るために、参考となる場所であれば⻑野や神⼾、遠くは福岡などにまで⾜を運んだといいます。
⽅向性として少しずつ鮮明になってきていたのは、賃貸であっても⼊居者が物件に⼿を加えても良いという DIY の要素を「すみれハウス」でも取り⼊れてみること。そこで提案されたのが、予想される多様な借り⼿や選択肢を受け⼊れられる DIY 部屋をつくるというコンセプトでした。住むために⼗分な設備は整っていて、壁を⾃分の好きなように塗装することから始められる【ライトDIY部屋】から、解体されたままのフルスケルトンで⼀から内装づくりに挑戦できる【ハードDIY部屋】、そして、芝原さん⾃⾝が⾒本としてDIYをする【お⼿本DIY部屋】まで⽤意されました。
ここでも芝原さんは、部分的でも⾃ら内装や解体を⼿がけることで、天井に隠れていた鉄⾻やキッチンのタイル、押⼊れの跡やモルタル壁のざらついた質感など、かつての名残を留めつつ、まだこれからも⽣かせるものがあることに気づかされます。出来上がった「すみれハウス」には画⼀的に改築された部屋はなく、ひとたび⾜を踏み⼊れると、各々に異なる表情を持つ空間が広がるとともに、⾃ら⼿を加えていくことで、⾃分らしい暮らしや⽣き⽅をそれぞれのスタート地点から楽しむことができる、そんな⾊々なかたちをした余⽩も残されることになりました。
各部屋の借り⼿が決まり、「すみれハウス」の利⽤が本格的に始まる頃には、感染症の流⾏に苛まれました。それでも、芝原さんは⼤家として出来る限りのことをするために、建物のメンテナンスや⽇常的に⼊居者を気遣うことはもちろん、「すみれハウス」という場所のストーリーとそこでお店を始めた⼈々を知ってもらうためのオリジナルのパンフレットも製作しました。気がつくと、傍で⾒ていて「そこまでするのか」と感じていた⽗親の仕事ぶりが、知らない間に今の⾃分と重なるようになっていたといいます。
どんな空間であっても、どのような⼈によって⽤いられるのかの⼤切さも強く感じるようになった今、「本当に素敵な⼊居者さんばかりで嬉しい」と改めて⼝にするほど、芝原さんにとって「すみれハウス」は特別な場所になっています。そしてまた、その⼈柄に応えるかのように、⾃らの空間づくりをしていく⼈々の姿がこれからもここで続いていきます。
1号室 『ハナレ』澤 和代さん
「すみれハウス」は全部で6つの部屋からなるアパート。中でも 1 階部分、建物に続く路地の⼊り⼝から⾒て⼀番奥にある1号室にスパサロン『ハナレ』があります。
『ハナレ』のオーナーセラピストは澤和代さん。同じ⻑町にもう⼀店舗のサロン『Spa Qui-Creidet(スパ クイ クレイディト)』を10年以上の間営業されてきましたが、2019年に、ここ「すみれハウス」に『ハナレ』をオープンされました。
澤さんが、『ハナレ』という新たな空間をつくってまでもやってみたかったこと。それは憧れていた、植物のアロマが⾹る空間で、深いリラクゼーション効果をもたらすボディトリートメントの施術をすることでした。
『ハナレ』のサロンテーマは、“脳の休息”。
『Spa Qui–Creidet』では、体質改善といった結果を重視してきましたが、『ハナレ』では何よりもストレスをオフにすることを⼤切にしたい。ストレスを⾃覚している⼈、そして、⾃覚していない⼈まで、それをひとときの間だけでも、⼿放せる。それが“脳の休息”という⾔葉に込められています。
施術後は、初対⾯でもたくさんお話をされるほどに安⼼して帰られるお客様が多いといいます。
「そういう空間なんでしょうね。私じゃない。私に話すわけでもなく。そういうのを何も喋らなくても」伝わるものがある。⽇常から離れて上質な時間を過ごして欲しい。そのために、別店舗で、⼀からつくることのできる理想的な空間に「すみれハウス」はうってつけでした。
こうして⼆店舗のサロン経営をするまでになった澤さんですが、さかのぼるとセラピストになろうと思った理由には、前職で体験したことが影響していると振り返ります。
澤さんの前職は、美容師。そこで、指名がかかるほどシャンプーやマッサージをすることが⾃分に向いていたこと、何よりもそれでお客様が喜んでくれるのが嬉しかったといいます。⼀⽅で、美容師の仕事が夜遅くまで忙しく体を壊してしまったことを機に、“健康(ウェルネス)”を意識するようにもなりました。こうしたことが、次にセラピストに転職するきっかけとなります。
セラピストとして独⽴したのは、今から17年前。野々市に『Spa Qui‒Creidet』の前⾝となるお店をオープンさせました。そこから⻑町にお店を移転したのは、お⼦さんが⼩学校に⼊学されたから。帰りが早いため、仕事の環境を整えるのであれば、お⼦さんが帰って来られる住居も兼ねた店舗にして、そして、お客様を受け⼊れる⼣⽅の時間も営業する必要がありました。
サロンという仕事1本だけで⽣計を⽴てることが難しい中、今も続けられていると思う理由は、通っているお客様のその⽇の体の状態に合わせて施術することだといいます。ここに、“エステサロン”や”リラクゼーションサロン”という既存の呼び名にとらわれず、“スパサロン”を提唱し、トータルな施術に澤さんがこだわる理由もあります。
⼈の体に関することや⾃分のマッサージに必要なことだと思えば、あの⼿この⼿を使って遠⽅の勉強会にも通ってきました。
そして、カラダに触れるため、距離は縮めすぎない。他⼈であればあるほどそれがいいとまで。「とにかく受けてみてほしい。体との対話だけで、施術が終わればお客さんは笑ってくれる」と澤さんはいいます。
「すみれハウス」が繋いでくれるもの、そしてこれからの『ハナレ』について伺うと、ひとつは、将来サロンのお店を出したい、独⽴したい⽅のステップとして『ハナレ』を利⽤してもらうことを考えているといいます。「私と全く違う内容でも、その⼦の良さがあって、それにマッチングするお客さんがいて、ついてくれるのであれば。⼀番の⽬的はハナレの看板くぐって、来てくれた⼈が満⾜してくれれば」
そしてもうひとつは、ハイクラスな世界の中で、質の⾼いスパの仕事をすること。「すみれハウス」のイベントなどを通じて実現したホテル『⾹林居』でのスパ体験イベント。それが好評となり、現在はアロマを専⾨とする『ハナレ』だからこそできる、宿泊される⽅限定のトリートメントも⾏っています。“新しい⾦沢時間を処⽅する”というコンセプトを掲げるこのブティックホテルで、他にはないマッサージの空間をつくり上げていきたいと澤さんは夢を語ってくれました。
文=神野元次郎